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泉小太郎≪安曇野創生記≫

信州の民話 泉小太郎
昔むかし、安曇野を含む松本平一帯がまだ湖だった頃のお話です。

人々は湖のほとりの小さな村で、貧しく暮らしておりました。
米はろくにとれず、飢饉の時には年寄りや子供が飢えて死ぬこともたびたびでした。
「この湖の水が海まで流れて豊かな土地になったら苦しまなくてすむのになあ。」
それが村人たちのかなわぬ願いだったのです。

この村に、泉小太郎という少年がばあさまと一緒に住んでおりました。
小太郎は心やさしく力持ちで、村人を助け、やせた土地を耕して暮らしていました。
そんなある年、いつに増してひどい飢饉が村をおそい、たくさんの人が死んだのです。
その有様を目の当たりにして小太郎は深く悲しみ、何とかして皆を幸せにしてあげたいと強く思うようになりました。

「ばあさま、おら、何とかして広い土地をつくりてえ。どうすりゃいいだ。」
ばあさまは小太郎に言いました。「おまえの本当のおっかあは湖に住む犀竜だ。小太郎、おっかあに会いに行け。」
小太郎はおどろき、しばらく思いつめたように考え込んでいましたが、やがて決心して湖に行き、岸辺に立って大きな
声で叫びました。
「かあさん、かあさん、聞こえるかい、おら小太郎だ。」

すると湖の水が突然盛り上がり、大きな竜が現れて言いました。
「おお、小太郎、立派になって。お前のことは一日だって忘れたことはなかったよ。」

小太郎は、母を見つめて言いました。
「かあさん、おらこの湖の水を海におとして広い豊かな土地をつくりてえ。
そうすれば村の人はもう飢えて死なずにすむ。そのためには湖をせき止めているあの大岩を崩さなくちゃならねえけど、こればっかりは、おら一人じゃどうにもなんねえ。かあさん、おらに力をかしてくれ。みんなを幸せにしてえんだ。
そのためなら、おら自分の命なんてどうなったってかまわねえ。」

母は、たくましく成長した小太郎をだまってじっと見つめました。
わが子を見つめるその目は湖のように深く、少し微笑んでいるようにも見えました。
そして、静かに言いました。「小太郎、私の背中にお乗りなさい。」
突然の雷鳴とともに、わが子を乗せた母犀竜は夕やみせまる大空に、高く高く舞い上がったのです。

 


その夜「どーん」「どーん」という大地をゆるがすような大きな音が、何度も響きわたり、村人たちはあまりの恐ろしさに
誰も外に出ようとはしませんでした。
それでも夜が明け始めた頃、おそるおそる音のする湖の方へ行ってみました。
そしてはっきりと見たのです。小太郎を乗せた大きな竜が、何度も何度もあの湖をふさいでいる大岩に向かって
体当たりをしている光景を。

竜の身体はもうあちこち裂けて、その流れる血で湖は真っ赤に染まっておりました。
両目もつぶれてしまった母犀竜を助け、息子小太郎が、「かあさんこっちだ」と必死にかじを取っています。
この母子が今何をしようとしているのか、村人たちにはすぐにわかりました。
そして、その姿に皆思わずひざまづき、涙を流し手を合わせました。

やがて、最後の力をふりしぼった犀竜と小太郎が、ひときわ高く舞い上がり渾身の一撃をくらわせた時、ついに大岩は轟音とともに砕け散り、湖の水は母子もろとも一気に海に向かって流れ落ちていったのです。
そして、あとには広く豊かな土地がうまれました。

私たちの愛するするさとは、このようにしてできたのです。小太郎と犀竜がその後どうなったかは誰も知りません。
けれど、犀龍に乗った小太郎の雄姿はいつまでも人々の心の中に生き続けました。
そして、安曇野を流れる犀川としてその名をとどめ、今でも私たちをうるおし続けています‥

 

【解説】

「泉小太郎」の昔話は、「龍の子太郎」という児童文学の元となった民話です。
1975年から約20年間放映されたテレビアニメ「まんが日本昔ばなし」のオープニングで、子どもを乗せた龍が
空を飛ぶシーンをご記憶でしょうか?
「ぼ~や、良い子だねんねしな♪」というオープニング曲で登場する子供が、泉小太郎です。

農耕にとって大切な水をつかさどる神として、竜神が古くから信仰されていました。
竜神は雨を降らせ、竜巻とともに天にのぼると想像されました。
古代に安曇野を開拓したのは、北九州の海人族・安曇氏といわれます。
海洋民族が信仰する竜神伝説が、この地にもたらされ、民間伝承されてきました。

泉小太郎伝説の古い文献として、1724年に松本藩主水野氏が編纂した『信府統記』があります。

その中に筑摩・安曇両郡の「和泉小太郎犀龍ニ乗シ水ヲ治ムル事 」の記述があります。
現代語訳をしつつ、登場する地名を追ってみましょう。

景行天皇12年までは、安曇・筑摩両郡は山々の沢から落ちる水をたたえて湖だった。ここに犀龍がいた。
また、東の高梨(須坂市)の池に白龍というものがいて、犀龍と一子をもうけた。

はちぶせ山にて誕生し、日光泉小太郎と称す
‥出生地は鉢伏山で、鉢伏山の頂上からは北アルプスを背景にした松本平を見渡すことができます▼

鉢伏山麓の北に位置する弘法塚古墳には、泉小太郎のモニュメントがあります▼
松本市中山和泉地区では、この民話を後世に伝えようとする取り組みをしています。
泉小太郎祭りを催し、太鼓や小太郎節という民謡が演奏されます。

放光寺山のあたりにて成長す
‥松本市の城山から蟻ヶ崎の丘陵で育ちます。
放光寺▼は坂上田村麻呂が建立したとされる名刹です。城山には松本市最古の公園があります▼

城山の北にあるアルプス公園には、泉小太郎のしだれ桜が植えられています▼
説明書きによると「このしだれ桜は泉小太郎が植え、代々大事に伝えたものといわれます」
信府統記の記述を続けます‥その後、母の犀龍は我が姿を恥じて湖水に入り隠れました。
小太郎は母の行方を尋ねたところ、熊倉下田の奥にある尾入沢という所に至って会うことができました

 

尾入沢は松本市島内下田区域にある平瀬城の城跡に向かう山沿いを流れています▼
沢は奈良井川に合流し、安曇野市熊倉付近で犀川という名称になります。
尾入沢 尾入沢
犀龍が語って曰く『私は諏訪大明神の変身です。氏子繁栄させたくて化現しました。
おまえは私に乗って、この湖を突き破り水を落として人里にしましょう』
さんせいじ(山清路)という所の巨巌を突き破り、さらに下流の水内の橋の下(信州新町久米路橋付近)の岩山を
破り開いて、千曲川の川筋で越後の国の大海まで乗り込みました。

山清路は東筑摩郡生坂村にある渓谷で、犀川が最も狭まった場所です▼
山清路 山清路
このことから、小太郎が犀龍にのった犀乗澤から、千曲川と落合う所までを犀川と称します。
その後、小太郎は有明の里(北安曇郡池田町の十日市場)という所に居住して子孫繁昌しました。


安曇野市の穂高神社境内にも、泉小太郎像があります▼
穂高神社の祭神は穂高見神で、安曇野を開墾した阿曇氏の祖神であることから、小太郎との関連性が推測されます。
そして、小太郎は穂高見神の化身とされています。

 

年月を経て、白竜王・犀龍と対面します。
白龍王の曰く『我は大日如来の化身なり。犀龍と仏崎という所の岩穴に入って隠れ給う』

犀龍と白龍は大町市を流れる高瀬川の仏崎に身をひそめます。
高瀬川上流にある高瀬渓谷緑地公園にもモニュメントがあります▼